ループ

ループ (角川ホラー文庫)

ループ (角川ホラー文庫)

「リング」よりも「らせん」よりも「ループ」が好きだ。

ネットの書評を読む限り、好きだという人と、ガッカリしたという人に二分される。おれはこのお話に非常なる感銘を受けた。本作は断じてホラー小説ではない。第一級のSF小説だ。

おれはスケールの大きな物語が好きだ。スケールの大きさという意味では、アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」には及ばないかも知れない。だが、「リング」と「らせん」の世界をマクロな視点で語る本作には、読みながら非常にワクワクさせられたし、早く続きを読みたくてたまらなかった。

何せ、通勤中の電車の中でよみ、地下から地上へ抜けるためのエスカレータでも読み、会社についてからも十数分は止められず、昼休みにも続きを読んでいたくらいだ。

というわけで、以降は超ネタバレです。
「リング」と「らせん」の世界は、スーパーコンピュータ「ループ」における仮想世界だった。この設定を受け入れられるかどうかに、本作の命運はかかっている。素直に何の疑問も持たずに、素直におれはこの設定を受け入れられたおかげで、非常に楽しめた。

たしかに、腑に落ちない点、というか突っ込みどころはあるにはある。山村貞子はどこから来たのか、彼女は現実世界からループ界への介入だったのか。なぜ、現実世界とループ界とのインターフェースが電話なんだ!? それはちょっと安直すぎないか? だが、そんなことは重箱の隅の些細なことに過ぎない。

気にしていてはこの壮大な話は楽しめない。何事にも"遊び"や"ゆるさ"は必要で、それがまた「ループ」の魅力でもある。某エヴァンゲリオンがそうであったように、敢えて明かさない設定は憶測を呼び、個々人の内で一人歩きを始め、再度、この物語の内容を確認したくなるのだ。

現実世界と仮想世界の境界線はあいまいで、仮想世界の住人からすれば、そこは閉じられた世界であり、紛れもない"現実世界"だ。

時々、自分が死んだあとのことを考える。自分の想像では、死というものは、苦しさや痛さを別にすれば、"眠る"という感覚に似ているのではないかと思う。眠ることと唯一違うことは、それが永遠に覚めないというところだ。

いや、それも不確かなことで、もしかしたら、覚めることもあるのかもしれない。"覚める"ということは、同じ自分の知覚が継続しているということだ。自分自身の目を介して外界を認識できるということだ。

だが、"死"を迎えたあとに"覚める"とは? 違う自分として転生することなのか。他人には見えない自分だけの視界を、内面を認識することなのか。だが、それを認識しているのは一体?

結局、自分の存在は仮想に過ぎないのではないか。もし自分がいなくなっても、この世界は続くのだろう。だが、自分がいなければ、この世界はなくなったも同然だ。そして、そこには仮想も現実もない。

久しぶりにそういうことを考えさせられる小説だった。